土合駅の思い出・決定版
Date: 2023-03-06
(※追記・・・この記事は「土合駅の思い出」その1とその2をまとめ、また新たに加筆したものです。2023/03/06)
栄えある「旅行記第1弾」として、まず手始めに「日本一のモグラ駅」土合駅から行きませう。
自分が土合(どあい)駅に初めて行ったのは確か5、6年前の冬だったかと思う。その日朝早くから気合を入れて、寒い寒い真冬のみなかみに日帰り温泉旅行に出かけ、温泉は結構楽しんだ記憶がある。温泉に食事と、自分のやりたかったことを一通り終えて時計を見るとまだ昼の1時とかで、さすがにこのまま帰るのもなぁーんかなぁーっという思いに駆られた。なんかいいとこないかなーと水上駅にあった周辺地図をぼーっと眺めていると「土合駅」の名前が目に入り、ふと、そーいえば土合駅ってなんかすんごい秘境駅だったんだっけかと思い出した(このころは自分の鉄道熱はそこまで強くなかった)。さらにちょうどよく上越線下り電車の発車時間がせまっていたことも重なり、これは何かの縁だと思い、発車1分前の電車にぎりぎり潜りこんだ。
雪が深々と降り積もる冬の水上にぽつんと立つ秘境土合駅・・・想像するだけでそわそわするシチュエーションではないか。さて駅を出るとすぐ電車は大きく右にカーブした。今回の日帰り旅行の「延長戦」の開始を告げるかのような急カーブであった。文字通り雪をかき分けながら利根川沿いに北に進み、水上駅を出て3~4分ほどで電車は、10数キロに及ぶトンネルのまさにちょうど入り口のところにある「湯檜曽駅」に停車した。ここもなかなか不思議な雰囲気をまとった駅で、いつかここにも行くぞっと心に誓いつつ湯檜曽駅を見送り、電車は更にトンネルを深く深く突き進んだ。トンネルの中をジョイント音を大きく轟かせながら進むこと3~4分、電車は速度を緩めはじめ、やがて薄暗いがその割にはやけに堂々としたホームらしきものが目に入ってきた。土合駅である。
ドアが開いた瞬間に感じた、むわっとした生温さとコンクリート建造物特有のにおいに興奮した。それを味わうためだけに(!?)その後現在に至るまで何度か訪れている。この生温さは土合駅(下りホーム)がいかに地中深いところにあるかを如実に物語っている(注1)。ホームのところ以外はただただ吸い込まれるような闇が広がっていた。青色に光る列車用の信号が闇の始まりを告げるかのようにぽつんと光っていた。電車が去った後のホームは静寂そのもの。湿気によるもやがホーム全体に広がり、秘境感をより一層醸し出していた。
ホーム上土樽寄りのところにはどこにでもありそうなプレハブ作りの待合所や倉庫、簡易トイレが設置されているが、これらがここが「駅のホーム」であることを静かに主張していた。待合所入り口すぐのところにテーブルがあり、ノートや筆記用具が置かれていた。壁には多くの寄せ書きがあった。自分は結局何も書かなかったが。隣の倉庫は全くのカラであった。トイレで用を足し、ホーム全体を今一度見渡し、大きく深呼吸をして、一歩を踏み出した。
ホームから改札に向かう・・・この行為を難事業と表現するのはいささか滑稽な感じがするだろうが、ここ土合駅の下りホームから地上に伸びる長大な486段の階段(※正確には地上までの462段プラス24段)を、その中に吸い込まれるような感覚とともに眺めれば、難事業と表現したくもなるだろう。この時も、またその後の土合駅探訪でも階段のスタート地点に立つたびに「おぅふ・・・」と声にならない声を思わず発してしまう。
段数を数えながらの階段上り、最初の200段は比較的順調であった。階段周りの様子を観察する余裕もあった。階段左側には階段と壁の間に人2人分くらいの空間があった。エスカレーターを設置するための用地とのことだが真相はいかに。また階段の両側のスペース(エスカレーター用地のところも含む)は常にきれいな水が流れていた。どこから漏れているのかと思ったが階段の上の入り口付近に管のようなものがあり、そこから結構な量の湧水が流されていた。地下ホームのむあっとした湿気はこの湧水の影響によるものか。462段の階段の中間あたりの踊り場に木製のベンチがぽつんと置かれていた。こんなものに頼るほど歳をとっていないわいと強がって一瞥しただけで素通りしたものの350段あたりからはっきり呼吸が荒くなってきたのを感じた。それからは好奇心はどこへやら、早く苦行をおしまいにしたいという気持ちに支配されながら機械的に足を前へ前へ動かすこと数分、結構長い数分であったがどうにか462段目に足を置くことができた。
登り切って上から下りホームの方向を眺めると自分のした仕事の大きさ(?)をしみじみ実感した。下から眺めた時以上に吸い込まれるような錯覚を覚えた。また体中汗だらだらで、なんでこんな重いコートなんか着てきたんだろうねーと筋違いの後悔にかられた(※冬です)。登り切ったあとにはトタン屋根付きの階段と駅舎を繋ぐ連絡通路が続いていた。堅牢なつくりながらさび切っていた。小学校中学校の校舎と体育館をつなぐ連絡通路を思い出させるもので哀愁とともになつかしさを感じた。最後、通路の終わりにはVの字の衝立があったが、トンネルの風対策のものなのだろうか。とにかく土合駅は好奇心をくすぐられる要素に満ちている。
「お疲れさまでした!」と書かれた扉を横目に通り過ぎ、そこからさらに24段の階段を上り(ん、さっきのねぎらい言葉は?)、薄暗い通路を歩くこと2,3分、ようやく改札らしき物体が姿を現した。ゴールだ。
484段の苦行のフィナーレを飾るにふさわしい立派な改札口はまた、かつてのにぎやかだったころとのギャップを最も色濃く映し出すところでもあった。当時は駅員さんがいて華麗なハサミさばきでチャキンチャキンときっぷ扱いをしていたであろう改札口にはもはやだれもおらず、さっき発車時間が迫る中必死になって買った切符は切られることも判を押されることもなくあっさりと回収箱行きとなりここでさみしく役割を終えることとなった。
さあここまで来たんだから次は駅舎をしっかり探訪しようと勇んでクリーム色の重たい引き戸を「ゴゴゴゴゴゴ」とけたたましい音を立てながら開くと、人の気配はなかったものの、ムァっとした熱気とともに何やら雑多な「生活感」を感じ取った。あたりを軽く見渡してみると改札の引き戸のすぐ左側にテントが設営されているではないか。テントの主は見当たらなかったが明らかにここでだれかが寝泊まりをしている雰囲気はあった。駅舎入り口付近の掲示板付近には洗濯ロープがかけられ、ロープにはハンガーがいくつかかけられていた。また駅舎中央ではストーブがしっかりと「稼働」していた。そりゃぁあったかいわけだ。とても面食らったが、階段、連絡通路と暗く陰鬱とした時間が結構長かったこともあってすこしホッとしたことを覚えている。
心身ともに落ち着かせてつつ、あたりをいろいろ見て回った。完全に役目を終えたと思われる切符売り場は重厚でかつ威厳があり、改札口とともにかつての栄華をわずかに忍ばせていた。またオレンジ色の郵便ポストのような「乗車駅証明書発行機」のボタンの感触がこごちよく2,3枚発行してしまった(←いけません)。時刻表もこのとき確認。1日たった5本・・・啞然。
だんだん日が暮れてきた。駅の外は雪がさらに深々と降りしきり、体の疲労もあり、これ以上なにか探検をしようというような気は起きず、以降は「妙に生活感あふれる」駅舎のベンチでときおりスマホいじりをしつつぼーっとしたと思う。小1時間ほどしてやけに馬鹿でかい上り電車到着アナウンスが流れ、土合駅舎に別れを告げ薄暗いコンコースを今度は右側へすすみ、雪に覆われた上りホームに向かった。「寂寥感」はむしろ上りホームのほうが強く、寒さも手伝って電車のライトが見えるまでのわずか2,3分間は恐怖そのものであった。電車の中のあったかさや喧噪がいつになくありがたかった。(了)
・・・とまぁそんなに劇的なものではなかったわけですが、自分の土合、さらにはみなかみとの「心の交流」はこういう形で始まったわけです。次回は、「今」の土合駅を取り上げたいと思います。更新がいつになるかはわかりませんが・・・(苦笑い)。